登場人物紹介(7) 光明皇后
後世から結果論で考えて見るに、病弱で意志の弱い夫や、キレやすいツンデレの娘よりも、よほど天皇に適任の人物だったと思われます。正倉院に直筆の「楽毅論」が残されていますが、その雄渾な筆使いは、夫聖武帝のなよなよとしたタッチよりもよほど男性的です。そもそも「楽毅論」という題材がすごい。
戸主は役人人生の過半を、この光明皇后の後宮で過ごします。天平のはじめに作られた施薬院と悲田院は、どちらも貧民や身寄りのない者の救済施設ですが、皇后が発案したそれらの事業を長年に渡って支え続けた裏方が、戸主のような小役人たちであったわけです。
ちょっと引用を。
ところが、一の矢は思っても見なかった方角から出し抜けに飛んできた。
「そなたはなぜ身を固めようとしないのです」
「は?」
耳を疑った戸主が思わず面を上げたとき、御簾がくるくると巻き上がり、今度は目を疑わねばならなかった。光明皇后は横に座した聖武天皇の膝元にしどけなくもたれかかったまま、戸主に妖艶な流し目をくれて仰せあった。
「夫婦というのは、かようによいものですよ」
「ほんにのう、光明子(こうみようし)よ」
主上は光り輝くような、と形容された妻の美貌をうっとりと覗き込んだ。
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