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2007年7月15日 (日)

《書きかた》の冒険

 せっかく作家のはしくれになれたというのに、ぼくはその貴重な特権の一つをみすみす放棄してしまうところではなかったか。
 特権? そう。いろいろな道具で、いろいろな書きかたをしてみるという特権をである。

 ごぞんじの通り、新人賞には「応募規定」なるものがあり、これこれの大きさの原稿用紙を縦書きで使うべし、とか、ワープロの場合は一行何文字掛ける何行で印刷すべし、などと、応募原稿の形式が細かく決められている。審査員や、とくに下読み担当者は大量の応募作を読むので、内容はともかく原稿の形式の面であまり身勝手な個性を発揮されると、読みにくくてたまらないからだ。そこで応募者に規定の枠をはめる。作家の卵たちも、審査側に悪印象を与えまいと懸命にそれを守る。
 もっとも変人はどこにでもおり、知り合いの編集者によれば、いくら応募規定を細かく定めてあっても、毎回必ず何人か、黒い紙に白い文字とか、トレーシングペーパーに製図用鉛筆とか、珍妙な個性派の原稿を送りつけてくる猛者がいるそうだ。頭の中、どうなってるんでしょうね。こういうのは審査員泣かせかと言えば、そんなことはない。彼らはそんな原稿を読んだりせず、ただちに屑籠に叩き込むからだ。それはひどいって? ちっともひどいことはない。新人賞という新兵訓練の規律は、この応募規定によって保たれているのだから、それを守れない者には厳しくして当然である。
 ここまではいい。ぼくが言うのは、新兵訓練を終え、晴れて作家の戦列に加わってからのことである。
 最近は新人賞出身の作家が多い。ぼくも含めて彼らの原稿は、とくに応募歴の長い人ほど、長年の訓練が効を奏して、おとなしく型にはまった、手書きによる修正の跡もとどめぬ、編集者さまどうぞお読みください的サービス過剰原稿になっている。近代文学館などの博物館に展示されている往年の文豪たちの原稿のように、悪筆の、あるいは達筆の、ときに達筆すぎて読めない、そして用紙の升目などのびのびと無視しきった原稿。細かい赤字でぎっしりと、しばしば紙を貼り足してまで修正されつくした原稿。書き手の個性を隅々までみなぎらせた、そんな原稿たちは、もはやめったに見ることができなくなっている。そのはずである。
 はずである、としか言えないのは、この辺の話題になると知り合いの編集者たちがそれとなく話題をそらすからである。ふうむ、へたに作家どもを刺激して、自分らの仕事を増やしたくないに違いない。その魂胆は読めておるぞ。だが、ぼくのまわりの作家たちを見るかぎり、たしかに誰も彼も、編集者が泣いて歓ぶ端正な原稿をせっせと出しているようだ。中には電子メールなどという管理社会の妖術を用いてまで、編集者さまにつくしている作家もいると聞く。嘆かわしいことである。
 このエッセイで、ぼくの語り口がいつもよりパラノっぽいとすれば、それは自分の発見に興奮しているからである。あまつさえ、おおっと危うく編集者どもにだまされるところだったわい、桑原桑原、などという失礼極まる疑心暗鬼の境地にまで突っ走ってきてしまったからなのだ。この興奮はちょっとやそっとで冷めそうもないから、今日は最後までこれでやらしてもらおう。
 ヒトはさておきぼく自身が、いまのいままで、この新人賞応募者症候群の重症患者だったのである。そのことにようやく病識を持ったというわけだ。
 思えば《日本ファンタジーノベル大賞》でデビューしてから三年、ぼくの原稿は、どれもこの賞の応募規定に完全準拠した、A4版横使い、40字×30行、ワープロ印字の、世にも優等生的な原稿だった。そのまま製本したっておかしくないくらいに……。原稿用紙さえ使ったことはなかった。自分の書く字に自信がなかったこともあるが、何よりも、
 ――原稿用紙はB4版、400字詰
 という強固な固定観念にとらわれていたせいである。新人賞に加えて、学校の作文教育にも呪縛されていたのだ。
 この呪縛から脱するきっかけとなったのは、ある小説雑誌からもらった六枚半ほどのエッセイだった。内容はここでは関係ないから触れない。ぼくはたまたま旅先にいて、いつものノートパソコン――ああ、これも管理社会の妖術だ――を持って来ていなかった。いま思えば馬鹿な話だけれど、ぼくはしばらく思い煩ったあげく、コンビニで買ったA4版の原稿用紙に万年筆で、その六枚半を書いた。そして、ラブレターを書いた少女のようにはにかみつつ、担当編集者あてに郵送したのだ。
 編集者からは文句を言われなかった。言われるわけがない。翌月号に無事掲載された。
 この瞬間、ぼくの中で、原稿の《書きかた》についての最大の呪縛が、きれいに崩れ去ったのである。笑いたければ笑うがいい。しかし、人間の行動を縛っている信念なんてのは、どれもこの程度のものではないだろうか。
 そしてさきほど――、
 ぼくはついに気づいてしまった。もう自分の前には「応募規定」などないということに。いままでのぼくがしていたことは、団地のベランダで飼われていた犬が、広い地面に連れてこられてもベランダの広さの散歩をするのと同じ、飼い慣らされすぎたがゆえの悲しい過剰適応にすぎないことに――。
 形式は一つに決めて内容に専念、なんてもったいない。新人賞応募時代にはできなかったいろいろな道具で、いろいろに書く楽しみをむざむざ捨ててなるものか。だいいち、形式にとらわれないとは、形式を一つに決めて他を考えないことではなく、その場その場で好き勝手な形式を渡り歩くことなのだ。料亭で、箸袋の上に小説を書くなんてのも乙である。出版社は作家を洗脳しようとして、作家誰それは自宅の書斎で愛用のワープロに……などと文芸誌上でサブリミナル広告を打つが、なんの、だまされまいぞ。
 そしてぼくは、先ほどからこの原稿を、A4版原稿用紙の束をクリップボードに止め、ホテルのベッドに寝転がって、鉛筆で書いている。禁断の「A4版」にかてて加えて「鉛筆書き」「横たわり」とくれば、もうぼくにとってははるかな異世界と言える。
 そして、書き心地はといえば……これはすばらしい! 万年筆のようにインクの乾くのを待たなくていいし、かな漢字変換の選択・確定などという漫才の掛け合いみたいなことに頭を煩わされることもない。なぜいままでこの楽しみを知らなかったかと思うと悔しいが、これも新人賞の応募規定に呪縛されていたせいだ。
 それに、一時期傾倒していた『文章の書きかた』だの『知的生活のナントカ』だのにも責任がある。曰く、鉛筆書きの原稿はすぐにかすれて読めなくなるから、いやしくもヒトサマに提出する原稿には、決して鉛筆は使うべきではない。そんな教条がぼくの頭に染みついていたのである。知的な先生方に異を唱えるわけではないが、これは要するに、オデン種は熱湯をかけて油抜きして使うべし、というのと同じ、遺物的ノウハウである。粗悪な油で揚げた昔のオデン種と違い、いまの種は……じゃなかった、すぐにかすれて読めなくなる昔の鉛筆と違い、いまのハイテクな芯は、そう簡単にかすれて消えたりしない。それに、いまはほとんど手間をかけずにコピーが取れるのだから、原稿を依頼した側が、受け取った原稿のコピーを取るべきではなかろうか? できたら元原稿は作家に返してほしい。筆記具をとやかく言うより、この方がルールとして簡単で爽やかである。
 そういうわけで、ぼくの前にはいまや広大な《書きかたの冒険》の沃野が開けており、こんなエッセイより――失礼!――早く冒険の旅に出たくて血沸き肉踊っているのである。
 なによ。《作家の特権》なんて言うからどんなたいそうな話かと思えば、原稿用紙の大きさとか、鉛筆書き、横たわりなんてカワイイじゃない。安心したわ。そうおっしゃる編集者のあなたは、まだまだぼくのことをわかっておられない。ぼくの中では、すべてのことがらが演繹的に増殖してゆくからだ。
 つぎはどうやって書いてやろうか? 正倉院の宝物献納帳よろしく、巻紙に墨でしたためて、一面に天皇御璽を捺してもらおうかしら。木簡にも捨てがたい味があるなあ。あっ、それに一度やってみたかった粘土板に楔形文字なんてのもいいかもしれない。B社のO女史(仮名)が、社の廊下でぼくの書いた六枚半のエッセーを運びつつ、
「ちょっとおだててやったらいい気になって……あのオヤジ」
 などとふうふういってる姿が眼に浮かぶ。
 鏡にルージュ。手旗信号。それから……

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