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2007年7月15日 (日)

カレー第二定理

 カツカレーのデータ構造に関する議論(注:カツ丼とカツカレーは似ているように見えるが、そのデータ構造はまったく異なるという哲学的議論)が解決をみたあとも、カレーには何かしら問題があるような気がしていた。

 だが今日、西鉄久留米の駅ビルにあるカレーハウスでカレーを食っていて、自分がなににひっかかっていたのかが突然明白に理解できた。ここの看板メニューである「ナイルカレー」は、ジャガイモやニンジンも入った田舎の家庭風の味で、本格インドカレーもうまいがこういうのも好きだ。けれど中辛一種類しかなく、辛口好きの私はちと物足りない気がする。
 右手が忙しくカレーを口に運ぶかたわら、左手は無意識にあるものを探りはじめた。こういうメニューをもつカレーハウスにはほとんど備えつけられているあれを――
 果たしてそれはあった。
「お好みの辛さになるまで振りかけてください」
 と書かれた茶色のガラス小瓶である。
 左手がその瓶をひっつかんだ瞬間、私は長年心の片隅にひっかかっていたものが何であったのか、五月の晴れた空のようにクリアーに理解した。そして、
「そんなことはできんっ!」
 と黄色いごはん粒を机に吐きとばしながら怒鳴った。さいわい店は午前中のすいた時間だった。
「何かと思ったら、そんなクダラナイことォ。バッカみたい」
 などといっている諸兄諸姉、問題意識というのは、そもそもこうしたものなのである。何もない空気に爪を立てるような行為なのだ。そしてこの、
「お好みの辛さになるまで」
 うんぬんの記述は、明らかに不可能な要求なのである。
 考えてもみてほしい。出されたカレーを一匙食べれば、そいつの辛さはわかる。自分の好みの辛さももとよりわかっている。だが、そこに加える件の小瓶の中身――その辛さの実力は未知数である。どうしてそれで「お好みの辛さ」が作れるだろうか。
「だからぁ、ちょっとかけてみればいいじゃん。バカねえ」
 バカバカと気易く呼ばないでほしい。考えが足りないのは君の方だ。
 たとえば私の横で、一人の若者がまさにそんな作業をしようとしている。少し様子を見てみよう。
 まず、茶色の小瓶から問題の液をひとたらし、皿のカレー溜まりに落とす。匙でいいかげんにかき回し、一口すくって食べる。ちょっと首をかしげ、決然と茶色の小瓶を逆手にもち、「あーあ」といいたくなるほど振りかける。それじゃまるっきりの当てずっほじゃないの。
 言わぬことではない。一皿を食べ終えるころには、表情も苦しげに、水をやたらと飲み、スーハー言いながらでていった。難問に立ち向かう努力を放棄したゆえの、みじめな敗北である。
 どうしてこうなってしまうのか。
 ひとたらしをちょいとかき回した時点で、件の茶色の小瓶の辛味成分はそのあたりのカレールーにじんわり溶け込んでいる。かき回した渦巻きの中心でもっとも辛く、そこから特定の濃度勾配でもってしだいに薄くなり、周囲のどの辺まで辛さという影響を及ぼしているのかは、わからない。
 そこいらの任意のポイントに匙を下ろし、ちょっとすくって味をみる。さてこのとき匙の中には、最初のひとたらしのうちどれだけの割合がすくわれているのか? 一皿のカレールーのうちどれだけの割合がすくわれているのか?
 どちらもわからない。つまり、これでは辛さ具合を味見できていないのだ。
 それでは、茶色の小瓶が香ばしく主張する「お好みの辛さ」は、桃源郷のごとく、愛の国ガンダーラのごとく、決して達しえない夢なのか。カレー第二定理の謎は、ついに永遠に闇に閉ざされてしまうのか――
 いやいや、そんなことはない。「たった一つの冴えたやりかた」があるのだ。まあ、見ているがいい。そこの、私をバカと呼んだ君もだっ。
 まず、問題の茶色の小瓶から二滴か、三滴の液体をカレー溜まりにたらす。二、三滴ではない。二滴か三滴か、覚えておかねばならない。それからカレー溜まり全体を、よーくかき混ぜる。
 均等に混ざり込んだと思ったら、一口すくって食べてみる――ありゃ、全然辛くないな。
 そして、あなたの「お好みの辛さ」を思い描き、いま味わった辛さを何倍すればそうなるかを計算する。
 今のは全然平気だったから、十倍の二十滴か――まてよ、人間の知覚の強さは刺激の物理的強さの対数に比例すると聞いたことがあるぞ。十倍入れても二倍しか辛くならということになるのか? それとも、この場合の対数の底は自然対数の底eなのかしらん。鮒一鉢二鉢――
 さあできた。これこそ数学的な厳密解としての「お好みの辛さ」であるはずだ。そうに決まっている。
 うっ……やはり数学的な厳しさがあるな。数学はかくも厳しい世界なのだな。四色問題やフェルマーの最終定理に匹敵する難問たるカレー第二定理は、ついに解かれた。解かれたと思う。解かれたはずだ……すいませんお姉さん、お水ください!
 かくして私は、真理に到達した歓びにふるえつつ、こころもち分厚くなった唇で腫れ腫れと笑ったのだった。

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