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2003年3月21日 (金)

イラク戦争

しばらくネットの世界を離れて、長編小説を書いていた。月末には終わるだろう。1200枚超。文藝春秋のHさん遅れてごめんなさい。

そうこうしているうちに、世の中はどんどん勝手に進み、イラクでは戦争がはじまっている。時事通信の『凪の世紀』でも今回そのことに触れた。

アメリカの強硬さに安保理がついてゆけず決裂、手続き的にはたいへん問題の多い開戦であり、国連の存在理由そのものも揺らいでしまったが、フセインに査察に従う気がないことはこの12年でよくわかっていたのだし、他に手段がなかった以上、遅かれ早かれ起きた戦争ではある(たとえばフランスは、武力行使に反対していたわけではない。いまはむしろ、参戦の口実を探っているようだ)。起きた以上は、民間人にも将兵にもできるだけ損害が出ないうちに終わらせる算段を考えるほうがよいであろう。

それにしても、まだまだ世の中には自分勝手な感情だけで行動する自称「反戦派」が多すぎる。かれらの本音は反戦などではなく反米にすぎないけれど、そんな意識もなく、ただ「何かいいことでもしている気になって」それについていっているだけの人も多いのではないか。

だいいち、それだけ自分の感情が大事なら、なぜイラク国民の感情を理解しようとしないのか。たとえ戦火にさらされてでもフセインの圧政から逃れたいという本音が汲めないのだろうか。「イラク国民の大多数は熱烈なフセイン支持で絶対的な反米」とでも勘違いしているのであろうか。おそらく、自分たちが一度も圧政を経験していないから十分な感情移入ができないのだろうが、少しは想像力を働かせなさい、と言いたい。そうした想像力を欠いた独善は、圧政を長期化させることで、しばしば戦争以上の災厄をもたらす。イラクでも、北朝鮮でも。

かれらは二言目には「行動している」自分に酔い、「声をあげず行動もしていない人に批判されたくない」などと言うが、少なくともいま日本で起きている「反戦」デモに加わり、どら声をあげるくらいなら、何もせず、黙っていることのほうが、はるかにましな「行動」であろう。

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