« 2002年5月 | トップページ | 2002年7月 »

2002年6月

2002年6月21日 (金)

新潮4賞授賞式

夕方、仕事をしていて、突然、三島・山本・川端賞の授賞式だったと思い出し、ホテル・オークラへ。阿刀田高さんに、デビュー当時の苦労話とか、これからが大変だと思うけれどがんばって、というお話などを聞く。二十数年前に『冷蔵庫より愛をこめて』『ナポレオン狂』で短編の名手としてデビューされて以来のファンである。もっとも、最近は小説の書き手としてより読み手としてより尊敬しているような気もするが。東大のルネサンス文学の宮下志朗先生や、おなじみ巽先生とも情報交換。新潮社関係ではいちばん大きなパーティなので、いろいろな作家・編集者に一度で会えて効率的なのだ。あちらの方では小谷真理さんが笙野頼子さんとお話をされているではないか。大の笙野ファンであるぼくは、しばらく声をかけようかと迷っていたのだが、惜しくもきっかけを逸してしまった。

続きを読む "新潮4賞授賞式"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年6月15日 (土)

安心の押し売り

10日のこの欄に息子・直哉の転落事故のことを書いたところ、多くの友人知人・読者・学生さんたちからお気遣いと励ましをいただいた。大変ありがたいことだけど、WEB日記というものについて、いささか考え込んでしまった。

息子の事故はもちろんぼくや家族にとっては一大事だが、WEBを通じて不特定多数の方にその心配を押し売りしてしまったのではないか、と……。本来、WEB日記とは別の、真にプライベートな場所に書くべきだという意見もあるだろうし、それもまた日記とか雑感みたいな書き物になるだろう。だが、作品を書き、それを書き、これを書くことは、労力の点でぼくの手にあまるし、一方、自分が体験した大事はぜひとも書いておかなくてはならないから、そうなればこれを辞めるしかない。

だけど、せっかく自分の活動状況を伝えるためにはじめたことだし、第一、プライベートなことは書けないようでは日記ではないだろうから、これからはせいぜい押し売りをしないよう注意して、続けていこうと思う。

続きを読む "安心の押し売り"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年6月10日 (月)

子どもが三階の窓から転落!

Tenraku_1
Tenraku_2
○はじめに

千葉県市川市のわが家は夫婦と三歳の一人息子、ぼくの母の四人暮らし。対息子の安全対策には、階段に柵、ベランダに出られる窓にチャイルドロックなど、それなりに気をつけていたつもりでした。でも、日に日に成長して活発に動き回り、行動範囲も広くなるのが男の子。事故が起きた場所の危険性には夫婦とも気はついていて、つい数日前にも「柵を考えなくてはいけないね」と話し合っていた矢先でした。モノ書きの身で、おおむね家にいますから、息子にも目が届いているように錯覚していたかもしれません。つい、後手に回ってしまったのです。

続きを読む "子どもが三階の窓から転落!"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年6月 6日 (木)

『瑠璃の翼』執筆山場

『瑠璃の翼』の1/3、350枚ほどの原稿を文藝春秋の編集者に送り、眼を通してもらう。ぼくは完成前の原稿を見てもらうのが大のニガテで、いままでの長編二作は、ほとんど完成間近になるまで誰にも見せなかった。ただ、今度のは1000枚という未経験の長さだけに、ときどき意見をもらって軌道修正しながらでないと完成は難しいだろうと思い、恥を承知で未完成稿を出したのである。

講談社「小説現代」に21枚のエッセイ『デジタルは文藝を救うか』を送る。ぼくは作家の中では、おそらく一、二を争うくらい電子本に期待している者の一人であるし、デジタルテクノロジーに通じている一人でもある。現状の電子本は、既製の出版業界や人気作家の論理で語られているのが不満である。だから少々角の立つ話も含まれているのだが、近未来フィクションのカタチで語ることで、その辺をごまかしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

追悼:矢川澄子先生

Yagawa1
矢川澄子先生が自ら亡くなってしまわれた。ぼくは、ファンタジーノベル大賞で矢川さん、椎名さん、安野さんに認められて小説家になった人間であり、言葉に表せないほどのショックを受けている。

昨年『われはフランソワ』を出したときにも新潮『波』誌上の書評を二つ返事で引き受けていただき、全部の作品を読まれて励みになるご紹介をいただいた。瀬名秀明さん、安野光雅さん、小谷真理さん、大森望さん、井上ひさしさんなどと共に、作家山之口洋の最大の理解者の一人だった。

会社を辞めて専業になった旨をご報告したときにも、「当方なんとか専業で三十年やれてきました(ただし配偶者+子供はなし)」と、ユーモアと明るさにみちた返信をいただいたのだが、いま読み返してみると、括弧書きにかすかな孤独の思いが漂う。ただ、どういう最期を迎えられたかということは、それまでの文学者としての生きかたや業績にはほとんど関係なく、矢川先生は生涯変わらずぼくの愛読作家でありつづけるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

なぜスポーツか?

この雑感、さぼっている間にずいぶん経ってしまった。世の中は知らぬ間にW杯とやらで沸き立っているらしい。スポーツ全般やらず見ずのぼくにはさっぱり関係ないが。スポーツは「運動」+「争い」なのであるから、国家対抗戦になればどうしたってその「争い」の部分がナショナリズムに火をつける。ナショナリズムではなく愛国心の表現としてならば、スポーツなどよりも北朝鮮お得意のマスゲームの方がよほどよい。また、外国の方を交えてハイキングにでも行くほうが友好も深まるだろう。これらは「争い」を含まない「運動」だからである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2002年5月 | トップページ | 2002年7月 »